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あや

“あや”というのは津軽で父親を指す。私も多分中学生のころまでは父のことを“あや”と呼んでいたと思う。よその人にも「あや、いだが」と父の在不在を聞かれていた。
私のあやは大正14年に生まれたので昭和と同じ年齢だった。来年、米寿を迎える所だったのだが、先日旅立ってしまった。

仕事は稲作で、モーターやガソリンエンジンが導入される前は、すべての作業を馬と人力で行っていた。夜遅くまで足踏み脱穀機を一人で回していた音の記憶が残っている。私たち子どもも農作業に貢献した。
屏風山のスイカやメロンがもてはやされたころ、母と一緒に、2トントラックにスイカを満載して何度か八戸に売りに来たことがある。
私が中学生のころから出稼ぎに行き始めた。「津軽平野」の歌詞がそのまま当てはまる感じだ。
体が丈夫だったが、70歳以降はガンとたたかい15年がんばった。

亡くなる数日前に見舞ったときは穏やかな顔を見せていたが、医者からは「いつ急変するか…」と言われていた。その三日後に急変し、この世を去った。

ひ孫が5人もいるのでもはや“あや”ではないのだが、私には若かった“あや”の顔が懐かしい。

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